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関目神社家紋

由緒

当地の氏神様であります関目神社は天正八年豊臣秀吉が大阪城築城の際防備の一策として関目より古市森小路の間十余町の道路を特に屈折させて(俗に七曲りという)敵兵の進軍を俯瞰し、その軍容兵数を察知するのに便利なようにした。これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに始まる。